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今回は、1977年に、現代数学社から発行された「数学の誕生」古代数学史入門という本をご紹介させていただきます。
<著者>
著者は、 近藤洋逸先生です。ウィキペディアには、つぎのようにありました。
日本の数学史家、科学思想史家。
1946年(昭和21年)にゲーデルの赤い本を翻訳して出版した。
略歴 1911年(明治44年)岡山件に生まれる
京都帝国大学哲学科に入学する
田辺元に師事する
東北大学に理科学生として在籍する
岡山大学法文学部教授
岡山大学名誉教授。
著書「幾何学思想史」「デカルトの自然像」など。
数理哲学、数学をまなぶ、数学史や近代科学思想史の研究で知られた、という記載もありました。
<まえがき>
まえがきから見ていきましょう。
本書は、岡山大学理学部での数学史講義のノートの一部(古代)を大幅に増訂したものである。古代数学の特色を可能なかぎり明確にしようとした…
本書から古代数学と近代数学との相違を読み取って頂ければ幸甚です。とあります。
<もくじ>
数学という学問は、今から2千数百年前の古代ギリシャで誕生したと言われています。
実は実用としての数学は、古代の各文明で誕生していました。古代バビロニアでも、古代中国でも数学は極めて高度に発達していましたから、古代ギリシャだけに、学問としての数学の誕生を帰するのは、不当であるかのように思われるかもしれませんが、実はこれには、深い理由があります。古代バビロニアでは、数学は、高度に発達し、単に実用のための数学の域を超えていたようです。しかし古代ギリシャのように、数学そのものの成り立ちを深く追求した文化はありませんでした。
古代ギリシャの数学の成果は、ユークリッドの原本として今なお、文化史上、燦然と輝いています。ほとんど自明と思われる少数の公理から出発して、図形の複雑な性質を解き明かしていく、ユークリッド「原本」の議論の立て方は、その後長い間、学問を記述する模範と考えられてきました…(上野健爾先生の「数学、このおおいなる流れ」から引用しています)。
それでは、本文のなかをご案内しましょう。
<未開社会の数学>
人類が、手、足、目、耳などが互いに一体一に対応し、「2」なる数を持つことをしったのか?
それは、火の使用を始めた旧石器時代、ほぼ30万年以前であったろうと言われています。
我々の祖先たちは、最初はわずかに2個だけ数え、これよりも多い場合は、「たくさん」といってすましたのであろう、とあり、
そして、本書では、いつくかの例が紹介されています。
<エジプトの数学>
数学は、階級社会の出現によって急速に発達した。
その社会の経済的基盤である農業を支えるには、治水灌漑の巨大は組織を作り管理しなくてはなりません。
税として徴収した物資から役人の某給を支払うために、膨大な物資の数量を計量して記録し、その分配を決めるには、文字と数字の発明、計算方法の発達が不可欠であったとあります。
(ギザのピラミッド建設や、移設で耳に新しいアブシンベル神殿の画像を思い浮かべてしまいます。星座や太陽の位置と、ピラミッドや、スフィンクスの方位が、高い精度で同期している話など、興味が沸くところかもしれません。)
糸の結び目や棒の刻み目や手指計算などでは、間に合わなくなり、数学が発明され、計算方法の改良など、数学の進歩が要求されたとあります。
エジプト人には、第一王朝(BC3300)には、10進法による1から100万までの数字があったと言われている。
本書では、「計算方法」や「分数の観念」「代数の問題」「幾何学の問題」にも触れています。
<バビロニアの数学>
メソポタミアでも、エジプトと同じように灌漑農業に基礎をおく専制的な奴隷社会を管理するための数学として始めっているようです。
バビロニア人が発明した位取りによる60進法の起源について書かれています。
紀元前3000年から紀元前2000年の頃から、シュメールおよびその後を継いだバビロニアでは、六十進法が用いられた。これは、60 が 6(立方体の面の数に由来)と 10(両手の指の数に由来)と 12(太陰暦の1年=12ヶ月に由来)と 20(両手両足の指の総和=20本に由来)と 30(1ヶ月=30日に由来)の五つの最小公倍数であり、1 から 5 までの全てで割り切れる最小の数であるが故に約数が多く(2, 3, 4, 5, 6, 10, 12, 15, 20, 30)、分割に便利だからだとされる。楔形文字には 1 から 59 に対応する数字があった。(ウィキペディアより引用)
区取り法で整備された数組織のおかげで、バビロニア人は優れた計算者になることができた。
星座とか、太陽、月などの天文学がここから始まったのは、そういうことだったのかと気づきます。
加法と減法とは、10進数と60進数との違いこそあれ、同じ区取り法のよっているからその計算方法は私たちと同じものであったとあります。
<ギリシャ数学の始まり>
エジプトやメソポタミアは、中央集権の専制国家でしたが、ギリシャでは、都市国家(ポリス)がその起源になっており、民主的に都市の反映をささえる技術、科学として発達したことが書かれているようです。
万物の根源は水であるとして、初めて合理的な世界像を描いた哲学者タレスは数学者でもあったとあります。
彼のものとされる幾何の定理は次のものがあります。
1)円は直径により二等分される
2)二等辺三角形の両底角は相等しい
3)二直線が交わるとき、その対頂角は相等しい
4)二つの三角形の二角と二角とがそれぞれ相等しく、かつ一辺と一が相等しければ、それらの三角形は合同である
5)半円に内接する三角形は直角三角形である
…中学の数学でならったものが、ここにあったとわかった気分になります…。
<ギリシャ数学の理論化>
<ユークリッド>
ユークリッドは、数学の原理を定義、公準、共通観念に三分類する…
それは幾何学の体系化の現存する最初の記録である…
定義1 点とは部分をもたないものである
定義2 線とは幅のない長さである
…ということが157ページ以降に書かれています。
数学の誕生からだと、興味が沸くところがたくさんあると教えてくれる一冊になっていると思います。
次回も、おたのしみに。
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