本日、紹介させていただく参考書は「三省堂 新講 数学Ⅱ 1968年 赤攝也」です。
以前「数学Ⅰ」はこちらで紹介させていただきました。
こちらのページで紹介されていますが、著者は赤摂也先生。
数学基礎論の権威として知られ立教大学、東京教育大学、放送大学の教授を歴任されました。
「まさしく、これからは”数学の時代”である。理科系・文科系をとわず、
すべての人が”数学につよくなること”が要求されているのである。」
他にも、電子計算機(computer)を「”人工頭脳”という別名をもつ現代の怪物である。」や
「人間は機械と競争してはいけない、人間は機械をつくり、これを利用するのである。」、
「数学の授業では、なるほど計算の訓練をする。しかし、その目的は、実は”計算機がどのようにはたらくか”を理解させることなのである。」
等々、人工知能が発達してゆく未来が見えていたかのような言葉です。
コンピュータの世界は「0」と「1」しか在りませんし、どんなプログラムにしても演算は必要。
数学とは切っても切れない存在ですね。
計算速度や、処理能力においては人工知能に適いませんが、人工知能は「創造性」を持つ事はできないと言われています。
人工知能や機械を上手に活用する事で、これからの暮らしがより良くなるといいですね。
さて、それでは本書の紹介をいたします。
「数学」を身近に感じる機会はありますか?
はしがきに書かれている通り、以前の数学は物理学や工学といった「理科系」のイメージが強いように感じます。
私自身そう思っていました。
ですが、企画や管理は当然数学的になります。色々と段取りを組むにしても作業の進捗状況を把握する為にも数学は必要です。
理系・文科系を問わず全ての人が数学に強くなることが要求されている現代だと思います。
(とはいえ私は数学が苦手で…日々数字を見ながら頭を抱えているような状況です…)
冒頭に書かれた、この本を学ぶ皆さんへー数学とはどんな学問なのだろうかー
大きく6項目に分けて語られています。
1.高校で習う数学Ⅰ~Ⅲを一貫した見地から整理を行った内容になっているというこの本の刊行される上での主旨と特徴について語られています。
2.数学の学生の持つ数字・図形・公式を扱い、演習を繰り返し習得する。学問としては冷たいイメージ。それは誤解であり、とても人間的な学問であるということを訴えたい。
3.上記の考えを「よくある気休め」と考えることなく、体験から感じている筆者の本心を理解してほしい。
4.例えていうならば、受験用に点数をとるために非人間的な勉強を繰り返せば、ごちそうをテーブルマナーの競技場で食べるに等しい行為で、味気ないものになってしまう。
5.数学は、おもしろい学問であり、ああでもない、こうでもないと考えることが楽しい。学生たちには楽しみながらこの本に取り組んでほしい。
6.編集方針として、大きな文字と小さな文字を使い分けてある。大きな文字だけ読んでも意味はわかるように編集してあるが、小さな文字の内容も読むと更に理解が深まる。自分にあった使い方ができるように編集されています。
いささか乱暴かもしれませんが、6項目に馳せられた数学に対する赤攝也先生の想いを要約してみました。
数学に対する自身の想いと、これから学ぼうとする学生に対する数学への想いがしっかりと伝わってきます。
本書の内容の一部を紹介いたします。
項目の下に書かれた副題も赤攝也先生の想いが見えますね。
この本の発行は昭和43年なので、50年以上前に出版されています。
赤攝也先生の数学に対する想いと、その充実した内容から50年以上経った現代でも良本として評価されています。
中々手に取る機会は無いかもしれませんが、ご縁があったらぜひ手に取ってみてください。
数学への学問としての興味が深まるかもしれません。
それではまた次回更新をお楽しみに~。
この記事へのコメントはありません。