本日は「数書閣 補習代数学 1907 人見忠次郎」を紹介させていただきます。
もはや「絶版」という次元を超越した、
当ブログの紹介書籍の中でも最古に属する本です。
1907年(明治40年)といえば今から100年以上も前。
日露戦後の恐慌、南満州鉄道の敷設、田山花袋の『蒲団』など、
我々にとって教科書で学ぶような出来事の最中に、本書は産声をあげました。
百年を越えて、この本は何を伝えてくれるのでしょうか。
そして、本書を執筆した「人見忠次郎」とは、一体何者だったのでしょうか。
本書の発行元である「数書閣」の詳細は、残念ながら不明に帰していますが、
明治から大正にかけて東京で数学関係の書籍を中心に発行していたようです。
国会図書館のデジタルアーカイブでは、『算術書:中等教育』(1898)や、
『解析幾何学講義』(1899)、『初等代数学』(1913)などが確認できます。
人見忠次郎は本日紹介の発行元である数書閣をはじめ、複数の書店と関係をもち、
『理論応用幾何学教科書』『小学修身課書字引』『普通生徒必携』などの
教育書を多数出版していたようです。
本書の序文を見ても、「中学校またはこれと同程度以上の学校を卒業」した者を対象
にしたとあり、これが教育用の数学書であることが分かります。
(当時は「旧制」で、「中学校」は12歳以上の者が5年間通う教育機関でした)
説明がカタカナ混じりで、さらに漢字が旧字体となると、
現代で見ているような数学の教科書とは全く違う印象を受けますね。
問題を解くというよりも、ひたすら理論を追求して根本的な理解を目指し、
どんな問題にも対応できるような総合的な知の育成が図られています。
さて、著者の「人見忠次郎」を探ってみると、彼は清沢満之に師事していたようです。
満之は浄土真宗の僧侶であり、雑誌『精神界』を刊行した宗教者でしたが、
数学が専門である人見がなぜ満之に?と思った人もいるかもしれません。
実は満之は哲学者でもあり、近代数学の確立に大きな役割を果たしていたのです。
デカルトが解析幾何学の創始者であるように、パスカルが三角形を求めたように、
哲学者・宗教者が同時に数学者であるケースは少なくありません。
彼らは数の法則を証明することで、同時に神の存在を証明できると、考えたのです。
満之もまた数学に関心をもち、近代数学の確立に尽力した人物でありました。
さきほどの数書閣の発行物のなかに「算術」という名称の本があったように、
人見忠次郎たちは、まさに「算術(和算)」から「数学」へという過渡期に生きた人物だったのでした。
人見忠次郎の履歴は、残念ながら多くのことはわかりませんでしたが、
「東京数学物理学会」や「新仏教徒同志会」の会員であったこと、ほかにも東京天文台(現国立天文台)とのコネクションがあったことが確認でき、幅広い分野で活動していたことが分かりました。
近代学問の黎明期である明治は、思わぬ人と人との繋がりが発見できる宝物庫です。
彼らが目指した「真実の学問」に、学問同士の垣根は必要なかったことを思わせます。
本書は総合的な知の探求という営為を、100年越しに教えてくれるものでした。
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