本日は「昭和十五年度欧文社通信添削会員合格者一覧合格通知転載」をご紹介させていただきます。
第二次世界大戦中である、昭和15年(1940年)は、「ぜいたくは敵だ」が流行語となった時代です。
旧漢字が使用されているため、今回は読みやすいように、タイトルを含め、本文ではすべて常用字体に改めて、紹介させていただきます。
右上に当時の欧文社のオフィスの様子が掲載されています。
従業員の方々が熱心に仕事をしている様子がうかがえます。
かなり密集した場所で、照明の数も多く、非常に暑そうな印象を受けます。
”欧文社”とは、受験参考書などの出版でおなじみの現在の”旺文社”です。
太平洋戦争中の1942年、英米を意味する「欧」の字が敵性語とみなされたため、「旺」の字に変更して現在の社名になりました。
欧文社通信添削会は、東京外国語学校を卒業したばかりの赤尾好夫氏によって1931年に設立されました。
赤尾氏の書籍は以前にもご紹介させていただいておりますので合わせて御覧くださいませ。
1932年にに創刊された会員誌「受験旬報」を通じての通信添削は、丁寧な添削や、質問への回答で好評でした。
序文の中でも「世に通信教授、予備校、補習科等は枚挙にいとまがない程沢山ある…これ程驚く可(べ)き合格率並に合格者を出したところもなく、又これ程物凄い感謝状に埋つた事は絶対にない筈」と、非常な自信と驚きや興奮がうかがえます。
この「受験旬報」は「蛍雪時代」へと発展し、現在に引き継がれています。
こちらは本書に掲載された感謝状の一部です。
当時の高等学校、大学予科は現在の大学に相当するもので、中でも第一高校は東京大学や千葉大学の前身となった第一流の学校です。
「小生今度第一高校を受験致し、理甲に幸にパス致し候…」
と漢文調の固い古めかしい文章に「パス」というカタカナが混じっています。
ところどころ「パス」や「!!」というハイカラな文字が見られ、当時の若者らしい言い回しがユニークです。
余談ですが、この2年後、昭和十七年(1942年)の欧文社通信添削会合格者一覧には小説家司馬遼太郎氏の本名である福田定一の名前も掲載されています。
しかし、司馬氏は学徒出陣のために、2浪の末に入学した大阪外国語学校を1年半で仮卒業となりました。
本書に掲載されている合格者たちも激動の学生生活を余儀なくされたことでしょう。
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