本日は、『光文社 奇跡の対話教育 1983 磯村懋』を紹介させていただきます。
副題が示すように、本書には「高校へ行かないで、東大京大に合格するまでの記録」が書かれています。
私塾の経営者である著者の磯村懋(いそむらつとむ)氏は、中学校での管理教育に疑問を抱き、子女たちを高校に行かせないという選択をとりました。
そして独学指導の結果、3人の子女全員が「大学入学資格検定(大検)」に合格し、長男が東大に、長女次男が京大に現役入学したのです。
この事はマスコミで大きく取り上げられ、これを題材に「中卒・東大一直線 もう高校はいらない!」というタイトルでドラマ化までされました。
本書が刊行された80年代の前半は、折しも「不登校問題」の存在が社会問題化する時期と重なっています。
当時、学校に登校しないことは「異常」なことだとされ、本人や家庭に何らかの病理があるもの、精神疾患の一種であると考えられることが一般的でした。
そのような時代背景のなかで本書が現れてきたことは、大きな意義があると言えるでしょう。
さて、では具体的にどのようにして近代学校教育の外側から東大に届いたのか、中身を覗いてみましょう。
「百科事典は踏み台に」「子どもの無限の質問に答える」
「自発性の尊重」「好きなことからはじめる」
特筆すべきは、学習指導要領では21世紀に入ってから本格的に推進されることになる「総合的な学習の時間」を先駆的に取り入れているところでしょう。
これは、いわゆる「ゆとり教育」の一環でしたが、幼児期から子どもの興味関心を尊重し、得意分野を伸ばすことに主眼が置かれています。
しかし、それだけでは自由奔放に成長するばかりで、幅広い学力の定着には結びつきません。
目次の「自由の恐ろしさを知る」が示すとおり、本書には恐ろしいまでの勉強量と読書量が記されており、いかに子どものやる気を満たしながら独学を続けられるかという綱渡りの記録でもあるのです。
中卒→大検→東大という夢のようなコースを描いてみせた本書は、当時の世相に多様な教育観を示し、「大検」の存在を世に知らしめた革命児でありましたが、それは同時に磯村氏の実務と経験に裏打ちされた、まさに「奇跡」の事例であったことも忘れてはならないでしょう。
さて、気になるところですが、子どもたちのその後はどうなったのでしょうか。
その一人、次男の磯村和人氏は現在、中央大学経済学部の教員として活躍されておられます。
『プレジデント』でのインタビュー記事は示唆的なので、最後に引用したいと思います。
「(私は)性格なども研究者向きだと思いますから、院に進んだのです。自分の能力を生かすことができないフィールドに進むのは、残酷なことです」
「(多くの人は)大学受験の結果で、自分の心の中で、ピークをつくってしまいがちです。“自分は東大卒だから、こうなるだろう”“東大に入れなかったから、こんな生き方しかできない“というように。私は高校に行っていないから、偏差値ランキングなどを意識したことがありません。大学受験の結果で、自分の人生を決めるという考えはなかったのです」
教育の多様性は、生き方の多様性でもあるのですね。
さんじよのかたの 進路は?
すいません
さんなんのかたの 進路は?
コメントありがとうございます。三女、三男の方の進路も気になりますね。と思って調べたところ、https://matome.naver.jp/odai/2140163412190363901 に書かれていました。「1982年長男が東京大学、1983年次男、1987年長女が京都大学」ということです。大検から全員が東大・京大合格、凄いですね(^_^;